そんなものに頼らず、自らの言葉で語ればいい。
そんなものに頼らないといけないのか。
マナーや道徳は別に受け継がれてきたかどうかによって価値が決まるものではなく、受け継がれてきたからといって素晴らしいわけではない。
私たちの守谷しぐさ。
http://www.city.moriya.ibaraki.jp/kurashi/kyoiku/shidoshitsu/15031301.files/moriyashigusa-a4.pdf
ここに書かれていることを話すのに江戸しぐさを参考にする必要があったのだろうか。江戸しぐさなど関係なく、日々の気づきから得られること、それを教師や生徒がそれぞれに考え、話し合い、ことばにするなりすることが大事なのではないかと思う。本来それでよかったはずだ。
道徳冊子をわざわざ作るのは、道徳の教科化に対応してだろうと思う。
まあ、そもそも道徳を教科化しようとしてるのは、学校では道徳を教られていないので道徳がわかっていないのだと主張する「学校で道徳を教えられなかった世代」という意味不明な方々で、彼らが安易に飛びついたのが江戸しぐさである。
なんよこれ。
「江戸しぐさとは」が「うわ、ちょっとこれ、歴史捏造やんか」という内容なのは事前からわかっていたのだが、江戸しぐさそのものも、今のビジネスマナーセミナーだの、自己啓発セミナーだのを「江戸は云々」言ってるだけの内容だ。
極めて薄くて、軽くて、浅い。
そんなものを後生大事にして、拝んだところで、大人がアホナことやっているとしか見えないだろう。
そんなものに頼らなくても、自らのことば、行動で向き合うこと、それは子供であったり、自分であったりするが、その方がよっぽど大事なんじゃないかと思う。