靖國神社と国家神道の信仰という心の問題
日本には国家神道の代表的施設であり、単立宗教法人であり、戦没者追悼施設になっている靖國神社以外にも戦没者慰霊施設がある。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑である。
こちらは第二次世界大戦の戦没者の遺骨のうち、遺族に引き渡すことができなった方の墓というこだが、政教分離の原則から特定の宗教宗派に属さない施設とされている。だから仏教やキリスト教、神道などの各種宗教団体が行事を行うということだ。
だから毎年行われる年中行事は異常としか思えない。
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会 - Wikipedia
国会議員が国のために命をささげた方々に感謝の誠をささげるのは自然なことだ
この後当然千鳥ヶ淵の戦没者墓苑にも参拝するのでしょうね、先生方は。
「遺族に遺骨を引き渡せなかった、第二次世界大戦の戦没者には感謝を誠をささげないが、遺族に遺骨や引き渡した戦没者には感謝の誠をささげるのは自然なことだ」という考えは非常に不自然で罰当たりだ。
さらにいうと軍人以外でなくなったかたには感謝の誠をささげないのであろうか。
安倍首相の行動も異常だ。秋の例大祭に参拝せず
17日に真榊(まさかき)と呼ばれる供え物を奉納
これは国家神道の代表的宗教施設であり、宗教法人である「靖國神社」の秋の例大祭に参加しているのと同じではないか。参拝しなくても例大祭には参加しているのである。
これは安倍首相や前述の国会議員は「国家神道を信仰していて、その行事に参加したいのだ」としか理解できない行動なのである。
個人として、それでもどうしても国家神道を信仰したいのであれば(戦前の国家神道を知ったうえで)信教の自由が憲法で保障されている以上、「やめといたほうがいいよ」ぐらいはいうと思うが、止めることはできない。確かに心の問題であろう。
だから極右や戦前に後戻りしたいのかという批判や非難は浴びせられても「その通りと考えます」という覚悟や思想があると考えられても仕方がない。
国家神道や靖國神社はそもそもが戦後日本と相いれないものであるからだ。
だから「国会議員や首相、内閣が靖國神社を国家神道を信仰したいのは自然なこと」というのは全く違うのだ。それは公私混同もはなはだしい。それこそ政教分離の原則に違反する。
小野寺前防衛相「情報戦略で中韓に負けてはいけない」 1200人参加 - 産経ニュース
自民党政調会長代理の小野寺五典・前防衛相は「来年は終戦から70年だ。中国や韓国は『あのひどいことをした日本』という形で宣伝し、必死におとしめようとしてくる。情報戦略で負けてはいけない」と訴え、「米国や欧州に平和国家70年の貢献を宣伝することも大事だ」
と本当に思うなら、そういう意味で問題の多い靖國神社ではなくこちらを国家の戦没者追悼施設にすればよいと思う。
平和国家70年の貢献を宣伝するならこれほどよいこともないだろう。
産経新聞や小野寺自民党政調会長代理は自民党や産経新聞の論調として行ってほしい。随分と日本の評価が上がると思う。
また「国際情報戦」とやらを戦うに当たってはこういう言葉に対しても批判や非難があってもしかるべきだと思う。
靖国参拝:山谷、有村両氏も 高市氏含め安倍改造内閣で初 - 毎日新聞
国策に殉じた方々に感謝と哀悼の誠をささげた。そのことは自由に自らの意志に従って行うものだ
高市氏は戦没者が「国策に殉じた」から「感謝と哀悼の誠をささげる」のだろうか。
戦前にこんな日本はオカシイと国策に殉ぜず、国策に対して抵抗することに殉じた方々には感謝もしないし、哀悼の誠を捧げないのであろう。
「戦前の日本の国策は、戦後日本からみても正しく、その国策に殉じた方々には感謝と哀悼の誠をささげるべきだ」という高市氏の政治主張でしかない。
これはもっと突っ込まれるべき問題であろう。
高市氏がするべきことは「間違った戦前の国策に殉じた戦没者に対する謝罪」ではないだろうか。
別に戦没者は好きで国策に殉じたわけではない。
戦争に参加した人全員が英霊になりたくて戦争に行きたくていったわけではない。
死ぬより生きたかったと思う。
ほとんどの人間が戦争という非日常より毎日の生活という日常が大事だったと思う。
だから高市氏が本来発言するべきなのは
「戦前の間違った日本の国策によってあなた方を殉じさせたことは間違いでした。本当に申し訳ございませんでした。日本はそういった過ちにより、国策により殉じさせることは絶対しません。あなた方が安らかに眠れるよう私たちは一層努力しますと謝罪と誓い」記者団に語った。
ということだろう。
ただし、それは国家神道や靖国神社の信者が発言したり考えたりするような内容ではないことは間違いなく、それこそ「破門(というのだろうか?)」されてしまうだろう。
閣僚や国家議員の靖国参拝は心の問題ではないのだ。
追記
毎回思うのだが、神社に奉納する真榊というのは本榊のことだろうか。
玉串料が十何万だったというニュースを聞いて、スーパーで5束200ぐらいで買える本榊と違ってどんだけ立派なんだと冗談で言ったことがある。
玉串料は本榊代ではなく宗教儀礼に対する料金なのである。
ちなみに玉串ってヒサカキのことも指すこともあるが、ヒサカキはほとんど仏用である。
真榊というのは祭具でそれを玉串という形で奉納したら宗教儀式なんですよ。