兎ノ森とツクラレシ花 Usagino-Mori’s Diary

小企業勤めの小市民のちみっちいココロとノウで書いてみます(仮)

クマラスワミ報告反論文書という名の黒歴史文書⑤

 今回はアンダーライン引いてる場合じゃないんだ、「正論」ってつっこみがおおくなります。「正論」という雑誌は正論でないので名前を変えたほうがいいと思う。

1,「Ⅰ.定義」について

(1)特別報告者の主張

日本国政府は、1926年の奴隷条約第1条1に規定された「奴隷制度」の定義(「その者に対して所有権に伴ういかなる又はすべての権力が行使されている者の地位又は身分」)を「従軍慰安婦」のケースに適用することは国際法上正確でない旨主張しているが、差別小委、奴隷制作業部会等の人権関連の国際フォーラムにおける議論、また、「従軍慰安婦」との用語は被害者の苦しみを反映するものないことにかんがみれば「軍隊性的奴隷」との用語が正確且つ適正。 

(2)コメント

(イ)最近の人権関連の国際フォーラムにおいて特別報告者が指摘するような奴隷関連の議論が行われていることは事実であるが、右は奴隷制度の現代的形態につき議論を行う中で「従軍慰安婦」にも触れて、右を「奴隷制度に類似した取り扱い」としているものの、当時の国際法上、いわゆる「従軍慰安婦」の制度が「奴隷制度」であったことを主張又は証明するものでは全くない。また、先に時際法の理論として述べたとおり、「問題となっている事態の評価・・・は、今日存在するものではなく当時存在した国際法の規則に照らして行わなければならない」ところ、「奴隷制度」に係る現在の議論を根拠として当時のいわゆる「従軍慰安婦」の制度を「奴隷制度」と定義することは法的議論として成立しない。

アンダーラインを引いて必死だな、「正論」w)という話ではない。

日本国政府は当時の国際法上の規則に照らすと「女性被害者は、戦時の強制売春及び性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかった」としても「それは当時は奴隷ではなかった。あくまでも現代においてのみ奴隷なのだ」ということを主張していることになる。

そんなもんドヤ顔でアンダーラインを引くとかアホか、「正論」。

戦時の強制売春及び性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかった地位又は身分にある者」が「その者に対して所有権に伴ういかなる又はすべての権力が行使されている者の地位又は身分」ではないということだ。であれば、女性被害者は一体なにをもって「戦時の強制売春及び性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかった」のであろうか。法的議論どころか一般的議論においても成り立つと思うのだが。

(ロ)なお、当時の国際法上は、奴隷条約第1条1に規定された「奴隷制度」の定義が一般的に受け入れられていたとされており、

Max Planck Instituteの「国際法公法辞典」も、「1929年の奴隷条約の締結以来、国際法において使用される「奴隷制度」という用語は、「その者に対して所有権に伴ういかなる又はすべての権力が行使されている者の地位又は身分」として定義されてきた(第1条1。)」旨明言している。しかしながら「従軍慰安婦」については、93年8月に発表し、国連人権委員会第45会期に提出した我が国政府の調査結果によればかかる「地位又は身分」は確認されていないところ、いわゆる「従軍慰安婦」の制度が国際法上の「奴隷制度」に該当すると断言することは困難である。

(ハ)以上のとおり、いわゆる従軍慰安婦」の制度を「奴隷制度」と定義することは法的観点からは極めて不適当であるところ、無用の法的インプリケーションと想起せしめる「奴隷制度」という用語を殊更に使用することは適当でない。

用語上の問題で「慰安婦」という言葉が被害を反映しておらず、軍事的性奴隷という言葉のほうがはるかに正確かつ適切な用語であると確信するクマラスワミ報告と被害の実態がどうであろうが、国際法上の奴隷制度に該当すると断言することは困難だし、無用の法的インプリケーションを想起せしめるから使うなという日本政府の主張と、どちらが今後の女性の暴力の一般解決に意味があるのだろうか。

クマラスワミ報告書

10.最後に用語上の問題で、現代奴隷制部会の委員並びにNGO代表及び学者によって表明されたものだが、女性被害者は、戦時の強制売春及び性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかったのであって、「慰安婦」という言葉がこのような被害を少しも反映していないという見解に、特別報告者は完全に同意する。したがって、特別報告者は、「軍事的性奴隷」という言葉の方が、はるかに正確かつ適切な用語であると確信する。

次回日本政府の恐るべき主張が炸裂する。

(二)因に、いわゆる「従軍慰安婦」の制度が「奴隷制度」に該当すると仮定する場合であっても、当時の国際法上、「奴隷制度」の定義が確立していたとしても、一般に、「奴隷制度」の禁止が習慣国際法上確立していたということはできない。

だからアンダーラインをひいたあとの主張を見てから考えたほうがいいよ、「正論」

例えば、特別報告者が引用する国際法律委員会報告書において権威あるもとして引用されているオッペンハイムの「国際法」の戦後(1995年)に発刊された第8版においてさえも、「人間が同じ人間に課してきた二つの大きな災いである奴隷制度及び奴隷取引を慣習国際法上禁止していると言うことは困難である。」旨明言されている。

という日本政府の主張が正しいとすると

国際社会において戦前どころか1995年における現代に近い年代に至っても、慣習国際法上、奴隷制度および奴隷取引は禁止されていない。

さらに

(ホ)また、1926年の奴隷条約自体については、我が国は締約国ではない。更に、もとよりその規定内容は、「あらゆる形態の奴隷制度の完全な廃止を漸進的に及びできる限り速やかに実現する」ための「措置をとることを約束する(第2条)ものであり、「奴隷制度」の禁止そのものを義務付けるものではないところ、同条約締約国における「奴隷制度」の存在が直ちに当該国の同条約違反を構成するものでないと考えられる。

っておい。

「奴隷制度」の禁止そのものを義務付けているからこそ、「あらゆる形態の奴隷制度の完全な廃止を漸進的に及びできる限りすみやかに実現するための措置をとることを約束」しなければならないと思うのだけれども。

当然同条約締結国における「奴隷制度の」存在は当該国の同条約違反を構成するものでないというより、「その責務を果たしていない」として同条約違反を構成するものでなければならないと思う。それでなければ意味が無い。

ちなみに言っておこう。

当時その条約では99カ国、批准しており、当然国際連盟において有力な加盟国だった日本が批准していなかったから、無視できるというものではない。

そして日本政府で同じ理屈でいこう。

「奴隷制度、奴隷取引並びに奴隷制度類似の制度及び慣行の廃止に関する補足条約」(1957年9月7日)に批准もしていない。

その内容は「債務奴隷制度、農奴制度、対価と引き換えの婚姻、児童売買の完全なる廃止をできる限り速やかに実現するための措置をとり、また、奴隷輸送に加担する行為、奴隷の地位にあるものに対して身体に烙印を押す行為、他のものを奴隷にする行為を刑事犯とすることを定める」というもの。

つまりは「債務奴隷制度、農奴制度、対価と引き換えの婚姻、児童売買」の禁止そのものを義務付けるものではないところで「債務奴隷制度、農奴制度、対価と引き換えの婚姻、児童売買」の存在が同条約締結国の当該国の同条約違反を構成しないということを主張しているのと同じなのである。

日本政府は、債務奴隷制度、農奴制度、対価と引き換えの婚姻、児童売買」は1995年に習慣国際法において禁止されていない上に、現在においても条約にも加盟していない。

ということは日本政府の立場は

債務奴隷制度、農奴制度、対価と引き換えの婚姻、児童売買」の禁止「奴隷輸送に加担する行為、奴隷の地位にあるものに対して身体に烙印を押す行為、他の者を奴隷にする行為を刑事犯とすることを定める」ということがあってもそれを奴隷というのは法的インプリケーションを想起せしめるので使うなという立場であり主張である。でそんな立場を主張しておいて「日本の取組み」を認めて欲しいとか何を言っているんだろうか。

イスラム国での奴隷売買やボコ・ハラムの奴隷売買を日本政府は批判できないのだ。

(偽)兎は戦前戦中戦後を通して結構恐ろしい国に住んでいる。

そういう国であることを日本政府は認め、ドヤ顔しているのだ。

この黒歴史文書はあくまでも自己保身の立場において存在しているのであり、女性の暴力についての一般解決のため、この従軍慰安婦問題を教訓とするものではないということを自ら証明しているのが「2.「Ⅶ.日本政府の立場(法的責任)」について

である。

問題は多くあり、全てを突っ込むの結構キツイ。

しかし東京裁判及びニュルンベルグ裁判を否定する主張がコメントに現れていることは述べておかないといけないだろう。

(ロ)(i)・・・・1945年の国際軍事裁判所条例が挙げられていることから、直ちにこれらの条約が、戦前及び戦中において慣習国際法として確立していたかの如く主張するが、数年前に発表された本件報告書の主旨は、旧ユーゴ国際刑事裁判所における適用法規としてこれらの条約が今日において慣習国際法として確立していることを述べることが趣旨であって、これらの条約が第二次世界大戦及び戦中においても慣習国際法として確立していたことは何等述べていないのである。

(ii)なお、我が国としては、本件行為がなされた当時、文民に関する1949年ジュネーブ条約、集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約及び国際軍事裁判所条例の内容が慣習国際法として確立していたが否かについて議論があり、当時慣習国際法として認められていたとは言えないものと承知している。

 だからアンダーラインひくとかありえんのだよ、「正論」。

日本の論で言えば、集団殺害罪や文民の保護について当時の国際社会もしくは国際連盟は「諸国の継続した慣行と法的・必要的信念」が確認できなった(つまりはなかった)ヘーグ陸戦条約が万国平和会会議が2回行われた度に締結されていてもだ。

さらにこれは国際軍事裁判条例の内容に批判でもある。

当時慣習国際法に則って行動した日本の行為が戦争犯罪であるわけがないということにも捉えかねない発言になる。

第二次世界大戦後、国際社会は、国内法のみならず国際法においても人権の保護と尊重のための義務的規範が確立され、ジェノサイドやアパルトヘイトといった犯罪及びその他の類似の慣行が決定的方法で禁止されなければならないとの立場に着実に近づいていった。したがって、人権を尊重、保証する一般的な国家の義務につき規定する人権分野の国際法文書に加えて、人道に対する罪の禁止及び防止に関する具体的規範を含む多くの国際協定が作成されるようになった。としており、また同書においてクラークは「人道に対する罪という概念は、1945年においてはまったくが一般的なものでなかった。」旨明言している。

 「人道に対する罪」という概念がないのに「ホロコースト」や「ポライモス」を裁いたということでニュルンベルグ裁判をDisですか。

さらに同じく極東軍事裁判をもDisである。

「サン・フランシスコ平和条約を誠実に順守している日本国政府」としてそれはありなんですかね。

(iii)さらに、当時の戦時国際法上、本件行為が自国民に対してなされた場合についてまで、我が国が賠償義務を負い、又は、我が国の軍隊の構成員が戦争犯罪を理由として処罰されることはできない。

 本件行為、つまりは「戦時の強制売春及び性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかった」もしくは、「奴隷に類似した取り扱い」が自国民になされた場合、我が国が賠償義務を負い、我が国の軍隊の構成員が戦争犯罪として処罰されることはできない

(ⅳ) 他方、本件行為が敵国民に対して為された場合については、オッペンハイムの「国際法」においても、当時の国際法上平和条約は戦争の最終的な解決と考えられ、同条約に別段の明示的な定めがない限りは恩赦事項の有無にかかわらず,すべての平和条約の効果として、その締結前に交戦当事者の軍隊の構成員等によって為された戦争犯罪が締結後に処罰されることはなく、かかる戦争犯罪を犯し、捕らえられた個人は開放されなければならないとされている。また、本件行為に関することを含め、我が国は、先の大戦に係る賠償および請求権の問題については、サン・フランシスコ平和条約及びその他の二国間の条約等により誠実に対応してきているところである。

 サン・フランシスコ平和条約時に本件行為にかんすることを日本政府は関知していたのであろうか。ならば河野談話すら茶番にすぎないし、

本件行為に関することを含め、我が国は、先の大戦に係る賠償および請求権の問題については、サン・フランシスコ平和条約及びその他の二国間の条約等により誠実に対応してきているところである。

 関知していないのなら、どうやったら誠実に対応できるのだ?

大体、「平和条約結んだので免責ですを順守しているのが誠実なのです。」

意味が全くわからない。

日本政府にとって、先の大戦に係る賠償および請求権の問題について誠実に対応するより、サン・フランシスコ平和条約及びその他の二国間の条約などせいにするのが都合が良いのでそうしているだけだろう。

なお、特別報告者が「犯罪」という概念に言及している箇所については、あたかも我が国による国際法上の「犯罪」が行われたかの如くの誤解を与えるおそれがあるものと思われるが、国家による「犯罪」という概念が当時はもとより現在においても国際法上確立していないことは、まさに、現在、国連国際法委員会において、右については議論が行われており、未だ条約草案がまとまっていないことからも明らかである。 

 日本政府は今後この主張を北朝鮮の拉致被害についても、大韓航空機爆破についても、「国家による犯罪」という概念が国際法上確立していないことが確立されていないので、国家による犯罪は不適当といえるもので、「あたかも北朝鮮や中国による国際法上の犯罪が行われたかの如くの誤解を与えるおそれがあるものと思われるので、北朝鮮が上記の如く主張するなら支持しないといけない。

 

これが日本政府が「本件行為に係る、処罰・賠償を行う法的義務を何ら負っていないことが明らか」であるという主張である。

 

いろいろ問題がある主張であるが、それでええんかと思うのは、クマラスワミ報告を否定するためなら、従軍慰安婦問題の法的責任を否定する為なら日本政府は奴隷取引や及び奴隷制度は国際法上禁止されていないと主張する先進人権国家であるというのが現在の日本の主張なのだ。

 

次回は国際人道法場の責任についてですが、まだつづくのか・・・・・コレ。