兎ノ森とツクラレシ花 Usagino-Mori’s Diary

小企業勤めの小市民のちみっちいココロとノウで書いてみます(仮)

駄文使いから池上様への御注進

(池上彰の新聞ななめ読み)慰安婦報道検証:朝日新聞デジタル

まあ、これの件なのですが。

 これが「慰安婦報道検証」を題材にとった「メディア批判」ということであれば、池上彰氏はメディア出身のジャーナリストという視点で「メディアの一般的な対応として慰安婦報道検証に対する批判」というまとめ方をするなら「なかなかするどい視点をお持ち」でということになるのであるが、どうも「批判のつまみ食い」と言った感が拭えない。

慰安婦報道に限らず、誤報やデマは新聞各社非常に多い。ドコモからアイフォンが出る出るといってドコモに否定されるような記事も過去には存在したし、「警察関係者発表」を「誤報」して冤罪事件の片棒を担いだことも少なくなかったように思うが、これに「訂正や謝罪」どころか「検証」が行われたこと自体が少ない。

ちなみに現在の「従軍慰安婦報道」は各社「自社の記事の検証をするべき内容の酷さ」が見て取れる。

 

従軍慰安婦問題における読売新聞の支離滅裂 - 法華狼の日記

 

(偽)兎には、池田彰氏が何故朝日新聞のみを対象に「訂正や謝罪」を要求しようとしているのかが全くわからないのだ。新聞にかぎらず、各メディアの慰安婦問題の基礎知識はひどく、二次文献からのつまみ食いをしただけのような発言の多い藤岡信勝氏を「慰安婦問題に詳しい」といった紹介をすることもある。池上彰氏も「慰安婦問題」についてはどうもあやふやな認識や知識しか持っておられないようにみえる。

例えば「学べるニュース7月7日」の「教えて池田さん」では従軍慰安婦問題について「あまり詳しくない」下手をすれば誤謬や誤解を招くような発言、全くの事実誤認が多く見られる。

 

池上彰連載中止と掲載拒否のハードル - 法華狼の日記

 

「教えて!池上さん」というなら法華狼さんの言うとおり「誤った主張を無批判に紹介する」のはどうだろう。

池上彰氏は「朝日新聞の吉田記事報道」と同じことをしているのではなかろうか。少なくとも慰安婦問題について池上彰氏は「教えて池上さん」と言われて「はい、教えましょう」と解説するだけのものではなかったようにみえる。それならば「僕は詳しくないんで」ということで番組が要望であっても断るべきでなかったのだろうか。

それがおなじように、安易に手を出してしまったが、うまくコラムにまとめきらずに「どっかで聞いたような批判のつまみ食い」のような形に流れてしまったようにしか見えない。それならば無理ならばわざわざ取り上げなくても良いのではなかっただろうか。例えば池上彰氏の上記のコラムと

慰安婦問題は女性の人権問題ととらえるべきではないか | 山口浩

 と比べると視点も切り口も甘いと言わざるをえない。

池上彰氏のコラムも問題はある。

例えば

この時点で、証言の信憑(しんぴょう)性は大きく揺らいだはずです。朝日はなぜ証言が信用できなくなったと書かなかったのか。今回の特集では、その点の検証がありません。検証記事として不十分です。

ということについては朝日新聞の97年の対応については意識的にか削除している。

 東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという。97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。

 92年に疑問符が浮かび上がっているのに97年では遅いのではないかという批判であれば、まあわからないではない。ならば「慰安婦報道検証に対する批判」として「97年までなにやってたんだ」とするべきだろう。なお朝日新聞の吉田記事についてはあくまでも「真偽は確認できないとしていたが、虚偽と判断した」ということであって、信用性については97年に本当かどうか不明と掲載し、その後記事を載せないという形で対応している。それでは足りないのだろうか。その辺も池上彰氏は答えない。

池上彰氏の「コラム」と「学べるニュースの教えて!池上さんの慰安婦問題の解説」に共通する「安易さ」はもっと批判されてしかるべきでなかろうか。