兎ノ森とツクラレシ花 Usagino-Mori’s Diary

小企業勤めの小市民のちみっちいココロとノウで書いてみます(仮)

少子化が深刻だから子供を産んでくれってのは女性差別じゃなかろうかと考えた。

最近の少子化の話ってすごく変だ。

子供が欲しいかどうかは本人(もしくは達)が決めることだと思うんだよ。

最終的に言えば「産むかどうかの判断は」女性が決めることだよ。

それはすごく当たり前ことであるが、その辺がすっぽ抜けている。

国家がとか、経済とか、地方とかがどうってのは本来は全く関係ない。

そんなに大事なら最初から「子供欲しーなー」と思えるような「社会」「会社」「地方」「国」を作っていけばいいことだったのだ。

それを今まで怠ってきたのは誰だって話だ。

それを誰かに(主に女性に)転嫁するってのはあんまりじゃなかろうか。

合計特殊出生率 - Wikipedia

Wikipediaからの出典なのでアレだが、団塊世代つまりは第二次ベビーブームの時ですらそんなに増えていないように見える。さらに団塊ジュニア世代は本来なら2000年前後に起きるはずだった第三次ベビーブームは起きなかったどころか、出生率がヤバいことになっている。いやそれどころか出生数だって減少した。

団塊ジュニア - Wikipedia

本来消費者数ということであれば、団塊世代に次ぐ有望な消費者層であったはずだ。

団塊の世代が親世代で「希望」のなかに生まれ育ち自分たちが親になろうかという時期に失われた10年に突入し「絶望」の世界となった。将来に不安が生まれ、消費には消極的になり、財布のひもが固くなった。

若者の車離れやら小売業の頭打ちなど今ある問題は既に生まれていたのだった。

「こどもをもうけることがリスクになった」のもこの頃だ。

それが今まで続いている。この傾向はなかなかなくなるもんじゃないというよりひどくなる。自分たちの親世代が「こどもをもうけることがリスクになった」姿を見てきた世代が今度の世代だ。

なのに

愛知 「穴開き避妊具配っては」 新城市議が一般質問 - 47NEWS(よんななニュース)

女性都議に飛ばされた野次が考えさせた問題点 原点には米国製憲法の「家族」破壊がある:JBpress(日本ビジネスプレス)

 

【突破する日本】セクハラやじに違和感 少子化問題がいつの間にか女性の人権問題に (1/2ページ) - 政治・社会 - ZAKZAK

なんていう頓珍漢な連中が出没する。

最後なんてもう終わっている。

少子化は深刻度を増している。「2040年には全国の半数の自治体が消滅する」との試算もある。昨年の出生数も過去最少を更新した。少子化を抑制するには女性が出産してもらわなければならない。国や自治体の支援も重要だが、まずは女性たちが結婚し、妊娠・出産してくれなければ話にならない。

少子化が深刻化したので、少子化を抑制するために出産してくれ」

これが女性の人権問題発言でなくてなんだろうか。

言っていないだけで根底にある思想が「女性は産む機械である」であり差別的なのだ。

そもそも「産む産まないは女性が決めること」であって社会にできることは「女性が子供欲しーなー」と思った時に「出産しやすくする」環境にすることしかないじゃないか。女性が「子供をもうけることがリスクじゃない」社会にすること以外にないはずだ。卵が先か鶏が先の問題ではないのだ。

少子化が深刻になった理由は「出生数増加を見込める世代を虐待した」からだ。雇用の不安定化、可処分所得の減少などが原因だったのは分かっているはずだ。原因は社会にあったのは分かっているのだ。

既にやるべきことは決まっていてそれをすることができない社会が問題なのだ。

 今まで怠慢や怠惰で現状を引き起こした社会がだ。

まずは「やるべきことをする。」

すべては「それからだ。」