兎ノ森とツクラレシ花 Usagino-Mori’s Diary

小企業勤めの小市民のちみっちいココロとノウで書いてみます(仮)

これでは学習を無駄にさせるどころか、理解の邪魔にしかならない

全くどうしたらええねんと頭を抱えてしまう。

何か勘違いしているが、歴史教科書は国定の歴史書ではない。

歴史を学ぶための教材だ。

少なくともこれでは、学習の阻害になると思う。

くりかえす、無駄どころではない。

阻害だ。

 

www3.nhk.or.jp

この点下村大臣も全く理解していない。

彼らにとっては「国定歴史書」としてしか「歴史教科書」を見ていないため、「学ぶ」ことではなく「教えること」を重要視する。

そして、「教えられたことを信じること」が彼らのとっては「学習」であり、「学ぶ」ということなのであろう。

 

  下村文部科学大臣は「歴史というのは光と影があり、影の部分のみならず、光の部分を含めバランスよく教えることが必要だ。そうした問題意識の下に検定基準を改正したが、すべての政府見解を載せるようにというわけではなく、独善的な歴史観や記述を増やすつもりも全くない。今回は教科書会社の努力もあって全体的にバランスがとれた方向にまとまりつつあると思う」と話しています。

 この教科書が何故阻害するのか。

このまとめが親切だ。

togetter.com

 まず、アイヌについて。

例えば、アイヌの近現代について書いた1点の教科書に「政府は北海道旧土人保護法を制定し、狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました」という記述があり、これまでは認められていましたが、この法律の趣旨を生徒が誤解するおそれがあると意見がつきました。合格した教科書では「アイヌの人々に土地を与えて、農業中心の生活に変えようとしました」と、「取り上げて」が「与えて」に変わり逆の表現になっています。文部科学省は「法律の趣旨は土地を取り上げることではなかったため」と説明しています。

さきほどのまとめでもあったがtoriiyoshikiさんのTwitterを紹介したい。

 

 

 

 toriiyoshikiさんの言う通り、法律の趣旨を誤解させないようにと、歴史の本質を誤解させてしまうような記述をしてしまうのなら「歴史の教材」としての意味がない。

この教科書を採用してしまうなら。「反面教科書」としての副教材としてしか使えない。しかも、かなりの時間をかけて、他の教材を併用しないと使い物にならない。

つまり、アイヌの歴史の流れをきちっと学んだ上でのこの記述についてどう思うか、論じさせる授業になる。

 

togetter.com

 これについてもそうだ。

 さらに、関東大震災の発生後、混乱の中で殺害された朝鮮人の人数を「数千人」と書いた2点の教科書の記述には、「通説的な見解がないことが明示されておらず、生徒が誤解するおそれのある表現だ」という意見がつきました。
これを受けて教科書会社1社は、当時の政府など複数の調査結果や「虐殺された人数は定まっていない」という記述を加えたうえで、「おびただしい数の朝鮮人が虐殺された」と修正しました。もう1社は「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名余りと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるとも言われるが、人数については通説はない」と修正しました。

 じゃあなにか。

内閣府が防災情報のページに記述があり、中央防災会議において災害教訓の継承に関する専門調査会が、「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成20年3月
1923 関東大震災【第2編】」として報告したことは通説でなく、でたらめなのか。

 

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923-kantoDAISHINSAI_2/pdf/19_chap4-2.pdf#search=

 

第2節殺傷事件の発生において、コラム8殺傷事件の検証として、数千人におよぶ「虐殺」を一体どう考えているのだろうか。

中央防災会議において報告されたこの検証は一体何だったのであろうか。

東日本大震災阪神大震災を経験する災害国の日本において本来の災害教訓の継承は重要ではないか。

「通説的な見解がないことが明示されておらず、生徒が誤解するおそれのある表現だ」

と意見を付けるよりも、むしろ災害教訓の継承に関する専門調査会の

事件後から現在に至るまで続けられている殺傷事件の検証は、事実の解明と周知を通じてのこの種の事件の再発防止を意図した活動として、防災上も評価すべきであろう。

という提言をもとに歴史における災害教訓として、むしろ、コラム8のようなものを紹介すればよいものを修正してどうするんだ。

加えるなら

9月、東京の路上で: 【俯瞰的な視点② いったい何人が殺されたのか】

「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか | 関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定するネット上の流言を検証する

などどうか。

副教材として

 

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

 

 を生徒に紹介して考えさせるということも大事だろう。

 

この修正もまた、アイヌのところの記載と同じように、歴史の本質を見失いかねなくなるし、誤解させる。

 

d.hatena.ne.jp

「現在、日本政府は『慰安婦』問題について『軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない』との見解を表明している」という記述が加えられました。

これも同じ。リンク先を詳しくはみてほしい。

この記述に関してはもはや虚偽まるだしである。こんなんいいのか。

 

下村大臣はもはや手遅れとしても、教科用図書検定調査審議会において委員となっている方々はもう少しきちんとお考えになった方がよいのではないか。

少なくとも、自分の研究室の教材において、こんなのを使って指導してるのだろうか。それが学問の道なのであろうか。

教科用図書検定調査審議会 委員名簿:文部科学省

これじゃあ、大学1回生の講義において常にこのセリフから始めないといけないだろう。

「今までの学習は忘れてください。これからの学習において無駄どころか、理解の妨げになるから」

 

 

「新しい歴史教科書を作る会』の教科書が「検定意見が上限を超える状態」で、さらには「断定的な記述や史料の扱いが適切でないところがあり」、「生徒が誤解する表現が多数みられる」ともはや「歴史教材としてダメ出しをされて」いるのにもかかわらず、やったった顔で語る代表執筆者の痛さ加減はどうしたらいいのか。

いったん不合格となったもう1点は「自由社」の教科書で、検定意見が上限を超える358か所に上り、「断定的な記述や資料の扱いが適切でないところがあり、生徒が誤解するおそれのある表現が多数見られる」と指摘されました。(略)

 自由社」の教科書の代表執筆者で「新しい歴史教科書をつくる会」の杉原誠四郎会長は「自虐的な見方を克服し、子どもたちが日本を誇れるような教科書にしたかった。バランスを求められて表現が後退した部分もあるが、自分たちが書きたかったことは書き込めた」と話しています。

 

そんなものに頼らず、自らの言葉で語ればいい。

 そんなものに頼らないといけないのか。

マナーや道徳は別に受け継がれてきたかどうかによって価値が決まるものではなく、受け継がれてきたからといって素晴らしいわけではない。

headlines.yahoo.co.jp

私たちの守谷しぐさ。

http://www.city.moriya.ibaraki.jp/kurashi/kyoiku/shidoshitsu/15031301.files/moriyashigusa-a4.pdf

ここに書かれていることを話すのに江戸しぐさを参考にする必要があったのだろうか。江戸しぐさなど関係なく、日々の気づきから得られること、それを教師や生徒がそれぞれに考え、話し合い、ことばにするなりすることが大事なのではないかと思う。本来それでよかったはずだ。

道徳冊子をわざわざ作るのは、道徳の教科化に対応してだろうと思う。

まあ、そもそも道徳を教科化しようとしてるのは、学校では道徳を教られていないので道徳がわかっていないのだと主張する「学校で道徳を教えられなかった世代」という意味不明な方々で、彼らが安易に飛びついたのが江戸しぐさである。

 

www.edoshigusa.or

なんよこれ。

江戸しぐさとは」が「うわ、ちょっとこれ、歴史捏造やんか」という内容なのは事前からわかっていたのだが、江戸しぐさそのものも、今のビジネスマナーセミナーだの、自己啓発セミナーだのを「江戸は云々」言ってるだけの内容だ。

極めて薄くて、軽くて、浅い。

そんなものを後生大事にして、拝んだところで、大人がアホナことやっているとしか見えないだろう。

そんなものに頼らなくても、自らのことば、行動で向き合うこと、それは子供であったり、自分であったりするが、その方がよっぽど大事なんじゃないかと思う。

 

 

歴史戦文春出張版にしてしまった山口氏が残念。

 相変わらずのくだくだクオリティの歴史戦記事。

 

www.sankei.com

特に秦郁彦氏のコメントがひでえ。

現代史家の秦郁彦氏「ベトナムにおける韓国軍の住民虐殺、強姦はつとに知られていたが、その陰に隠れて慰安所経営にかかわっていたことが判明したのは、公文書では初めてだと思う。引き続きさまざまな公文書が出てくることを期待する。今後、米国にいるベトナム難民移住者らが声を上げる可能性もあり、韓国に旧日本軍のことを言う資格はないという意見も出るだろう

 あまりの雄弁さに、秦郁彦氏は歴史家(歴史学者)廃業かと思ってしまった。

産経新聞の掲載されたコメントは単なる政治運動家の発言であって、腐っても秦郁彦氏は「戦場と性」の著者のコメントとしては正直立派とは思えない。

さて、週刊文春の記事の件である。

BSワシントン支局長の山口敬之氏が考えていたことは、慰安婦問題に韓国政府が蓋をしたくなるようにすることで、慰安婦問題についての軋轢を回避し、と和解へと導きたいというのが取材を通して彼が考えたことのようである。

政治部として外務省担当、官邸、キャップとしてのキャリアを見てから、取材のきっかけを読むと、外交関係者からの韓国軍慰安婦の資料発見の依頼のように見える。

それもいいよ別に。

ただ文章を読むと本当にこの人にとって大事なのは、慰安婦問題は政治的決着という問題であって、慰安所というのがどうでもいいことがわかる。

いろいろ取材したのにかかわらずだ。

こういったスタンスは産経新聞の歴史戦やコメンテーター秦郁彦氏の視線とほぼ変わらない。

旧日本軍における従軍慰安婦問題については、自らの歴史として日本人が引き受けるべき問題であって、それがどういうことかということを考えることは、韓国軍に慰安所があったこととは全く別のことだ。

旧日本軍の従軍慰安婦問題と韓国軍慰安所の問題(朝鮮戦争ベトナム戦争時)の関連性、戦後の特殊慰安施設協会いわゆるRAAに関する問題だってつなげて考えていくことができただろう。慰安所というものについて、戦時下や戦後も含めて、戦争と性に対する取材として考えることができるだろうが、彼はどうも韓国という国家や朴槿恵大統領にしか目線がないようである。

貴重である彼の取材は彼が考えていた結論より

むしろ法華狼さんの

d.hatena.ne.jp

 のようなエントリや

scopedogさんの

d.hatena.ne.jp

 のような検討につながれたのではないか。そのような視点でのとらえ方はなかったのか。旧日本軍の慰安所や日本政府によって作られた特殊慰安施設協会についてはどうだったのか。その延長にベトナム戦争における慰安所はなかったのか、何故慰安所ではなく性産業としてのトルコ風呂という名称だったのか。

そのあまりに政治的すぎる姿勢により、結局は歴史戦文春版になってしまった取材まが残念すぎてならない。

 

 

 

 

 

 

 

不払い宣言じゃねえよ。正当化できてねえよ。

ふざけるなというのはこっちのセリフだおっさん。

国会で堂々と故意に違法行為を働いたことを不払い宣言とか何を言ってんねん。

www.47news.jp

 記事内では正当化したで終わっていますが、全く正当化できてません。

法律に則らず、俺が法律だ的持論なんぞ展開したところで、「払うことはできない」と残業代の不払いを宣言されているのだから、労働基準法に対する違反を故意に行い、さらには国会議員でありながら、改正も何もされていない法律に挑戦行為と自らが認めているのだから、労働基準監督署は是非司法職員として、逮捕・送検を行ってほしいと思う。当然国会において、違法行為をあえて行っていると堂々という議員に対してなんらかの非難があってしかるべきだろう。そして足立氏は30万以下の罰金刑か6ヶ月以下の懲役に服してほしい。サービス残業根絶のボランティアでもいい。

そもそも

 私たち政治家の事務所は、残業代をきっちりと労働基準法に沿って払えるような態勢か

 どうかについては知ったことじゃない。

国会議員なので、歳費特権として、個人給与を国費で負担する公設秘書として、公設第一秘書、公設第二秘書、および国会議員政策担当秘書の3人を置くことが132条に寄って認められているのだから、それ以外の私設秘書を雇ったのは足立氏の都合だろう。いやなら雇わなければいいのだ。私設秘書を雇わなればならない義務など国会議員にはないし、多分政治家にもない。

それでも必要だからといって雇っているのは足立氏の都合であって、足立氏の事務所が労働基準法に沿った体勢になっていないのは、単に足立氏の事務所における労働管理がなってないだけであって恥ずべきことなんだけれども。

「私は24時間365日仕事をする。そういう中、秘書だけ法に沿って残業代を支払うことはできない」

いやそんな違法行為を堂々と開き直られても。

例えば、今の道交法は実態に合ってない。だから従わないと言って、駐車違反をしたり、スピード違反をすれば当然捕まるだろう。それで他人に被害与えれば、それこそ法に沿って損害賠償を行うことになる。

残業代もそうだ。勤務時間外に仕事をしてほしければ、割増した賃金を払えばいい。それが嫌なら自分自身で仕事すればいいのだ。

足立議員は24時間、365日働いているのだから、きっとできるだろう。

眠ることも、食事をすることもなく、トイレに行くこともないと主張しているのだからきっと大丈夫。

あなたならできる足立議員。

だから安心して30万以下の罰金か6ヶ月以内の懲役刑に服してほしい。

国会議員という立法府にありながら、法に対して挑戦する行為を胸張ってやっているのだからそれだけの覚悟がおありと思う。

裁判所も故意に行っているのだから、厳罰に処して欲しいと思う。

情状酌量など本人にとって失礼だから。

それと国会は足立議員の法にたいして挑発し、挑戦する行為に対して非難するべきだ。でないとそれを認めたことになるから。

 

 

クマラスワミ報告反論文書という名の黒歴史文書⑥そして彼らは後戻りする。

ちなみにこの黒歴史文書は、クマラスワミ報告に対する反論文書ではない。

クマラスワミ報告があろうとなかろうと、繰り返してきた日本政府のむしろ「反復文書」であるということは間違いない。

だからこそ、自国の国民に関わることですら

(iii)さらに、当時の戦時国際法上、本件行為が自国民に対して為され

  場合についてまで、我が国が賠償義務を負い、又は、我が国軍隊の

  構成員が戦争犯罪を理由として処罰されることはできない。

戦時国際法上、慰安婦問題のような事件を自国民に行われた場合でも被害にあった自国民に対して賠償することもなければ、それをなした軍隊の構成が戦争犯罪として処罰することはないので、「賠償することもなければ、処罰することもない」という結論を出したのだ。

(ⅳ)他方、本件行為が敵国民に対して為された場合については、オッペン

  ハイムの「国際法」においても、当時の国際法上平和条約は戦争の

  最終的な解決と考えられ、同条約に別段の明示的な定めがない限りは

  恩赦条項の有無にかかわらず、すべての平和条約の効果として、その

   締結前に交戦当事者の軍隊の構成員等によって為された戦争犯罪

  締結後に処罰されることはなく、かかる戦争犯罪を犯し、捕えられた

  個人は解放されなけらばならない。

 戦争犯罪はできる限り隠匿もしくは隠蔽して、平和条約を結んでしまえば「交戦当事者の軍隊の構成員等によってかかる戦争犯罪を犯していても処罰されることはなく、もし捕えられていても解放される」わけだ。

平和条約が結ばれるまで、ばれないように資料の隠匿、廃棄を行えば戦争犯罪を逃れるようするために。そして平和条約さえ結んでしまえば全てが問題なくとなる。あとは自国での追求だけださなければいい。

そして日本政府は上記のような戦争犯罪に関する抜け道を用意して、なおかつ支持する国家であるということを主張した。

ところで日本政府がこの文書で主張する立場はコレだ。

この(従軍慰安婦)問題を一つの教訓として「女性に対する暴力」の問題一般の解決のために国際社会に協力していくべきであるという立場である。

これらのどこが女性に対する暴力の問題一般解決のためになるというのだろうか。

何度も繰り返して言うがこの反論文書は自国の主張なだけで「反論文書」にはなっていない。ここからの文章は既にクマラスワミ報告における日本の立場に要約されている。要約が間違っているという指摘ではなく、「日本政府の主張のみが正しい」というような内容だ。すなわち「他国の主張や立場は一切認めず、日本政府の主張や立場のみが正しい。それを認めよ」というのだ。

そんなもの認められるわけがなかろう。

だからこそ、黒歴史反論文書について、日本政府がその存在を認め国際社会に発表することは重要である。隠すのではなく。

河野談話アジア女性基金をしながら、日本政府はこういうことを考えていたいうことを明らかにするために。

そう言えば従軍慰安婦問題に対して歴代の内閣の継承というのはいつからいわれてきたのだろうか。

歴代の内閣の継承と何を継承しているのだろう。

黒歴史反論文書の継承ではないことを祈るのみだ。

それこそ最大の黒歴史かもしれない。

クマラスワミ報告反論文書という名の黒歴史文書⑤

 今回はアンダーライン引いてる場合じゃないんだ、「正論」ってつっこみがおおくなります。「正論」という雑誌は正論でないので名前を変えたほうがいいと思う。

1,「Ⅰ.定義」について

(1)特別報告者の主張

日本国政府は、1926年の奴隷条約第1条1に規定された「奴隷制度」の定義(「その者に対して所有権に伴ういかなる又はすべての権力が行使されている者の地位又は身分」)を「従軍慰安婦」のケースに適用することは国際法上正確でない旨主張しているが、差別小委、奴隷制作業部会等の人権関連の国際フォーラムにおける議論、また、「従軍慰安婦」との用語は被害者の苦しみを反映するものないことにかんがみれば「軍隊性的奴隷」との用語が正確且つ適正。 

(2)コメント

(イ)最近の人権関連の国際フォーラムにおいて特別報告者が指摘するような奴隷関連の議論が行われていることは事実であるが、右は奴隷制度の現代的形態につき議論を行う中で「従軍慰安婦」にも触れて、右を「奴隷制度に類似した取り扱い」としているものの、当時の国際法上、いわゆる「従軍慰安婦」の制度が「奴隷制度」であったことを主張又は証明するものでは全くない。また、先に時際法の理論として述べたとおり、「問題となっている事態の評価・・・は、今日存在するものではなく当時存在した国際法の規則に照らして行わなければならない」ところ、「奴隷制度」に係る現在の議論を根拠として当時のいわゆる「従軍慰安婦」の制度を「奴隷制度」と定義することは法的議論として成立しない。

アンダーラインを引いて必死だな、「正論」w)という話ではない。

日本国政府は当時の国際法上の規則に照らすと「女性被害者は、戦時の強制売春及び性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかった」としても「それは当時は奴隷ではなかった。あくまでも現代においてのみ奴隷なのだ」ということを主張していることになる。

そんなもんドヤ顔でアンダーラインを引くとかアホか、「正論」。

戦時の強制売春及び性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかった地位又は身分にある者」が「その者に対して所有権に伴ういかなる又はすべての権力が行使されている者の地位又は身分」ではないということだ。であれば、女性被害者は一体なにをもって「戦時の強制売春及び性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかった」のであろうか。法的議論どころか一般的議論においても成り立つと思うのだが。

(ロ)なお、当時の国際法上は、奴隷条約第1条1に規定された「奴隷制度」の定義が一般的に受け入れられていたとされており、

Max Planck Instituteの「国際法公法辞典」も、「1929年の奴隷条約の締結以来、国際法において使用される「奴隷制度」という用語は、「その者に対して所有権に伴ういかなる又はすべての権力が行使されている者の地位又は身分」として定義されてきた(第1条1。)」旨明言している。しかしながら「従軍慰安婦」については、93年8月に発表し、国連人権委員会第45会期に提出した我が国政府の調査結果によればかかる「地位又は身分」は確認されていないところ、いわゆる「従軍慰安婦」の制度が国際法上の「奴隷制度」に該当すると断言することは困難である。

(ハ)以上のとおり、いわゆる従軍慰安婦」の制度を「奴隷制度」と定義することは法的観点からは極めて不適当であるところ、無用の法的インプリケーションと想起せしめる「奴隷制度」という用語を殊更に使用することは適当でない。

用語上の問題で「慰安婦」という言葉が被害を反映しておらず、軍事的性奴隷という言葉のほうがはるかに正確かつ適切な用語であると確信するクマラスワミ報告と被害の実態がどうであろうが、国際法上の奴隷制度に該当すると断言することは困難だし、無用の法的インプリケーションを想起せしめるから使うなという日本政府の主張と、どちらが今後の女性の暴力の一般解決に意味があるのだろうか。

クマラスワミ報告書

10.最後に用語上の問題で、現代奴隷制部会の委員並びにNGO代表及び学者によって表明されたものだが、女性被害者は、戦時の強制売春及び性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかったのであって、「慰安婦」という言葉がこのような被害を少しも反映していないという見解に、特別報告者は完全に同意する。したがって、特別報告者は、「軍事的性奴隷」という言葉の方が、はるかに正確かつ適切な用語であると確信する。

次回日本政府の恐るべき主張が炸裂する。

(二)因に、いわゆる「従軍慰安婦」の制度が「奴隷制度」に該当すると仮定する場合であっても、当時の国際法上、「奴隷制度」の定義が確立していたとしても、一般に、「奴隷制度」の禁止が習慣国際法上確立していたということはできない。

だからアンダーラインをひいたあとの主張を見てから考えたほうがいいよ、「正論」

例えば、特別報告者が引用する国際法律委員会報告書において権威あるもとして引用されているオッペンハイムの「国際法」の戦後(1995年)に発刊された第8版においてさえも、「人間が同じ人間に課してきた二つの大きな災いである奴隷制度及び奴隷取引を慣習国際法上禁止していると言うことは困難である。」旨明言されている。

という日本政府の主張が正しいとすると

国際社会において戦前どころか1995年における現代に近い年代に至っても、慣習国際法上、奴隷制度および奴隷取引は禁止されていない。

さらに

(ホ)また、1926年の奴隷条約自体については、我が国は締約国ではない。更に、もとよりその規定内容は、「あらゆる形態の奴隷制度の完全な廃止を漸進的に及びできる限り速やかに実現する」ための「措置をとることを約束する(第2条)ものであり、「奴隷制度」の禁止そのものを義務付けるものではないところ、同条約締約国における「奴隷制度」の存在が直ちに当該国の同条約違反を構成するものでないと考えられる。

っておい。

「奴隷制度」の禁止そのものを義務付けているからこそ、「あらゆる形態の奴隷制度の完全な廃止を漸進的に及びできる限りすみやかに実現するための措置をとることを約束」しなければならないと思うのだけれども。

当然同条約締結国における「奴隷制度の」存在は当該国の同条約違反を構成するものでないというより、「その責務を果たしていない」として同条約違反を構成するものでなければならないと思う。それでなければ意味が無い。

ちなみに言っておこう。

当時その条約では99カ国、批准しており、当然国際連盟において有力な加盟国だった日本が批准していなかったから、無視できるというものではない。

そして日本政府で同じ理屈でいこう。

「奴隷制度、奴隷取引並びに奴隷制度類似の制度及び慣行の廃止に関する補足条約」(1957年9月7日)に批准もしていない。

その内容は「債務奴隷制度、農奴制度、対価と引き換えの婚姻、児童売買の完全なる廃止をできる限り速やかに実現するための措置をとり、また、奴隷輸送に加担する行為、奴隷の地位にあるものに対して身体に烙印を押す行為、他のものを奴隷にする行為を刑事犯とすることを定める」というもの。

つまりは「債務奴隷制度、農奴制度、対価と引き換えの婚姻、児童売買」の禁止そのものを義務付けるものではないところで「債務奴隷制度、農奴制度、対価と引き換えの婚姻、児童売買」の存在が同条約締結国の当該国の同条約違反を構成しないということを主張しているのと同じなのである。

日本政府は、債務奴隷制度、農奴制度、対価と引き換えの婚姻、児童売買」は1995年に習慣国際法において禁止されていない上に、現在においても条約にも加盟していない。

ということは日本政府の立場は

債務奴隷制度、農奴制度、対価と引き換えの婚姻、児童売買」の禁止「奴隷輸送に加担する行為、奴隷の地位にあるものに対して身体に烙印を押す行為、他の者を奴隷にする行為を刑事犯とすることを定める」ということがあってもそれを奴隷というのは法的インプリケーションを想起せしめるので使うなという立場であり主張である。でそんな立場を主張しておいて「日本の取組み」を認めて欲しいとか何を言っているんだろうか。

イスラム国での奴隷売買やボコ・ハラムの奴隷売買を日本政府は批判できないのだ。

(偽)兎は戦前戦中戦後を通して結構恐ろしい国に住んでいる。

そういう国であることを日本政府は認め、ドヤ顔しているのだ。

この黒歴史文書はあくまでも自己保身の立場において存在しているのであり、女性の暴力についての一般解決のため、この従軍慰安婦問題を教訓とするものではないということを自ら証明しているのが「2.「Ⅶ.日本政府の立場(法的責任)」について

である。

問題は多くあり、全てを突っ込むの結構キツイ。

しかし東京裁判及びニュルンベルグ裁判を否定する主張がコメントに現れていることは述べておかないといけないだろう。

(ロ)(i)・・・・1945年の国際軍事裁判所条例が挙げられていることから、直ちにこれらの条約が、戦前及び戦中において慣習国際法として確立していたかの如く主張するが、数年前に発表された本件報告書の主旨は、旧ユーゴ国際刑事裁判所における適用法規としてこれらの条約が今日において慣習国際法として確立していることを述べることが趣旨であって、これらの条約が第二次世界大戦及び戦中においても慣習国際法として確立していたことは何等述べていないのである。

(ii)なお、我が国としては、本件行為がなされた当時、文民に関する1949年ジュネーブ条約、集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約及び国際軍事裁判所条例の内容が慣習国際法として確立していたが否かについて議論があり、当時慣習国際法として認められていたとは言えないものと承知している。

 だからアンダーラインひくとかありえんのだよ、「正論」。

日本の論で言えば、集団殺害罪や文民の保護について当時の国際社会もしくは国際連盟は「諸国の継続した慣行と法的・必要的信念」が確認できなった(つまりはなかった)ヘーグ陸戦条約が万国平和会会議が2回行われた度に締結されていてもだ。

さらにこれは国際軍事裁判条例の内容に批判でもある。

当時慣習国際法に則って行動した日本の行為が戦争犯罪であるわけがないということにも捉えかねない発言になる。

第二次世界大戦後、国際社会は、国内法のみならず国際法においても人権の保護と尊重のための義務的規範が確立され、ジェノサイドやアパルトヘイトといった犯罪及びその他の類似の慣行が決定的方法で禁止されなければならないとの立場に着実に近づいていった。したがって、人権を尊重、保証する一般的な国家の義務につき規定する人権分野の国際法文書に加えて、人道に対する罪の禁止及び防止に関する具体的規範を含む多くの国際協定が作成されるようになった。としており、また同書においてクラークは「人道に対する罪という概念は、1945年においてはまったくが一般的なものでなかった。」旨明言している。

 「人道に対する罪」という概念がないのに「ホロコースト」や「ポライモス」を裁いたということでニュルンベルグ裁判をDisですか。

さらに同じく極東軍事裁判をもDisである。

「サン・フランシスコ平和条約を誠実に順守している日本国政府」としてそれはありなんですかね。

(iii)さらに、当時の戦時国際法上、本件行為が自国民に対してなされた場合についてまで、我が国が賠償義務を負い、又は、我が国の軍隊の構成員が戦争犯罪を理由として処罰されることはできない。

 本件行為、つまりは「戦時の強制売春及び性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかった」もしくは、「奴隷に類似した取り扱い」が自国民になされた場合、我が国が賠償義務を負い、我が国の軍隊の構成員が戦争犯罪として処罰されることはできない

(ⅳ) 他方、本件行為が敵国民に対して為された場合については、オッペンハイムの「国際法」においても、当時の国際法上平和条約は戦争の最終的な解決と考えられ、同条約に別段の明示的な定めがない限りは恩赦事項の有無にかかわらず,すべての平和条約の効果として、その締結前に交戦当事者の軍隊の構成員等によって為された戦争犯罪が締結後に処罰されることはなく、かかる戦争犯罪を犯し、捕らえられた個人は開放されなければならないとされている。また、本件行為に関することを含め、我が国は、先の大戦に係る賠償および請求権の問題については、サン・フランシスコ平和条約及びその他の二国間の条約等により誠実に対応してきているところである。

 サン・フランシスコ平和条約時に本件行為にかんすることを日本政府は関知していたのであろうか。ならば河野談話すら茶番にすぎないし、

本件行為に関することを含め、我が国は、先の大戦に係る賠償および請求権の問題については、サン・フランシスコ平和条約及びその他の二国間の条約等により誠実に対応してきているところである。

 関知していないのなら、どうやったら誠実に対応できるのだ?

大体、「平和条約結んだので免責ですを順守しているのが誠実なのです。」

意味が全くわからない。

日本政府にとって、先の大戦に係る賠償および請求権の問題について誠実に対応するより、サン・フランシスコ平和条約及びその他の二国間の条約などせいにするのが都合が良いのでそうしているだけだろう。

なお、特別報告者が「犯罪」という概念に言及している箇所については、あたかも我が国による国際法上の「犯罪」が行われたかの如くの誤解を与えるおそれがあるものと思われるが、国家による「犯罪」という概念が当時はもとより現在においても国際法上確立していないことは、まさに、現在、国連国際法委員会において、右については議論が行われており、未だ条約草案がまとまっていないことからも明らかである。 

 日本政府は今後この主張を北朝鮮の拉致被害についても、大韓航空機爆破についても、「国家による犯罪」という概念が国際法上確立していないことが確立されていないので、国家による犯罪は不適当といえるもので、「あたかも北朝鮮や中国による国際法上の犯罪が行われたかの如くの誤解を与えるおそれがあるものと思われるので、北朝鮮が上記の如く主張するなら支持しないといけない。

 

これが日本政府が「本件行為に係る、処罰・賠償を行う法的義務を何ら負っていないことが明らか」であるという主張である。

 

いろいろ問題がある主張であるが、それでええんかと思うのは、クマラスワミ報告を否定するためなら、従軍慰安婦問題の法的責任を否定する為なら日本政府は奴隷取引や及び奴隷制度は国際法上禁止されていないと主張する先進人権国家であるというのが現在の日本の主張なのだ。

 

次回は国際人道法場の責任についてですが、まだつづくのか・・・・・コレ。

 

 

 

 

クマラスワミ報告書反論文書という名の黒歴史文書④

のってるなー日本政府といわんばかりの第4章スタートです。

特に第4章は日本政府が以下にクマラスワミ報告書を曲解し、自己の主張に都合のいいように解釈しているよがりっぷりが目に見えて醜悪さが、いやんばかんなみに黒歴史文書っぷりを発揮しています。

のっけからからこれです。

なお、以下の理論は国際法の基礎知識として常識の範疇に属するものといえるが、国際法に精通していない法律家がしばしば陥りやすい盲点であるので注意が必要である。

自分以外が間違っているんですという主張がいやになるほど香ばしい。

(3)以上の諸点のとの関係で、法的論点に係る特別報告者の主張は法律的論理が欠如した主観的見解の表明であると言わざるを得ない。

(イ)詳細は後述のとおりであるが、条約への言及については、例えば、1929年の捕虜に関するジュネーブ条約に関する主張(パラ98)の如く、我が国が当事国でない条約を論拠として我が国の条約違反を主張したり(併せて当該条約の定める規範が当時において慣習国際法として確立していたことを立証しているのであればともかく、かかる立証を行っているわけでもない。)、1904年の醜業ヲ行ハシムル婦女売(旧字)買取締二関する國際協定に係る主張(パラ102)の如く、条約の規定内容を何等点検することなく短絡的にすべて「従軍慰安婦問題」に結びつけ我が国の当該条約違反を主張している。

(ロ)慣習国際法への言及については、何等の論拠を示すことなく慣習国際法であると主張しており、例えば1921年の婦女及び児童ノ賣買禁止ニ関スル國際條約に関する主張の如く、「諸国家の継続した慣行と法的・必要的信念」を何等検討することなく、また誰が論じているのかも明らかにしないまま、「同条約は、当時存在していた慣習国際法を示すものとして論じられている」旨述べている。

日本政府及び反論文書の作者はきちんとクマラスワミ報告を読んだのであろうか。

クマラスワミ氏はクマラスワミ報告の(パラ96)と(パラ97)において事務総長の見解をもとに法的責任を述べている。それも旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷と絡めてである。クマラスワミ報告に対してこのような反論する意味をわかっているのであろうか。事務総長にも喧嘩売ってどうしたかったのだろうか。

クマラスワミ報告

96.日本政府は、1949年8月12日のジュネーブ諸条約及びその他の国際法文書は、第二次大戦期間中には存在しなかったのであり、従って同政府にはは、国際人道法違反について責任がないと主張する。この点で、特別報告者は、旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷設置に関する事務総長報告書(S/25704)の第34節、第35節に以下のように書かれていることに、、日本政府の注意を喚起したい。

「事務総長の見解では、『法なくして、犯罪なし』の原則の適用をするためには、国際法廷において疑う余地なく慣習国際法の一部である国際人道法の規則を適用すべきであって、その結果、特定の条約に対してすべてのくにでなく一部の国だけが遵守するという問題は生じなくなる…疑いもなく慣習国際法の一部となった通常の国際人道法のその部分は、武力紛争に適用可能な法であり、戦争被害者の保護のためのジュネーブ条約(1949年8月12日)、陸戦の法規慣例に関するハーグ第Ⅳ条約及びその付属規則(1907年10月18日)、集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(ジェノサイド条約,1948年12月9日)、ならびに国際軍事法廷条例(1945年8月8日)に具体化されている。

97.事務総長にならって、本特報告別者は国際人道法のある側面は疑いもなく慣習国際法の一部であり、国は、特定の条約の調印国でなくても、これらの国際人道法に違反した責任を問われるものと考える。 

 

さらにクマラスワミ報告の(パラ98、99、100,101)について、日本政府は「諸国家の継続した慣行と法的・必要的信念」の存在がないので慣習国際法ではなかったと主張している。ちなみにパラ98、99、100、101の内容はこれである。

クマラスワミ報告

98.ジュネーブ第四条約第27条は、戦時下のレイプが国際戦争犯罪だとする原則を繰り返している。同条は「女性は、その名誉に対する侵害、特にレイプ、強制売春、その他あらゆる種類のわいせつ行為から特別の保護を受けるべきである」としている。戦場における軍隊中の負傷軍人の状態改善に関するジュネーブ条約は、1929年に施行され、日本は批准しなかったが、第3条で明確にこう述べている。「捕虜は、その身体及び名誉を尊重される権利を有する。女性は、その性にふさわしいあらゆる配慮をもって取り扱われなければならない……」

99.国際軍事法廷条例第6条(C)及び東京法廷条例第5条は、戦争前ないし戦時中に民間人に行われた殺人、殲滅、奴隷化、追放、その他の非人道的行為を人道に対する犯罪であると定義している。

100.これとの関係で、国際法委員会が第46会期の活動報告書で以下のように述べていることは重要である。「委員会は、慣習国際法上の戦争犯罪という範疇が存在するという広範な見解に同意する。その範囲は、1949年ジュネーブ諸条約の重大な違反の範囲と同一ではないが、重複する」としていることは重要である。

101.1949年ジュネーブ諸条約が時間的適用制限の原則のために慣習国際法の証拠とならないとみなされ、また日本は調印していない以上1929年ジュネーブ条約は適用できないとみなされたとしても、1907年陸戦ノ法規慣例ニ関スルハーグ条約には日本は加盟していた。すべての交戦国が条約の締約国でない場合は(第2条)、同規則は適用されないが、その条項は、当時機能していた慣習国際法の明白な実例である。ハーグ規則第46条は、国には家族の名誉及び権利を保護する責務があるとしている。家族の名誉には、家族の中の女性がレイプのような屈辱的行為を受けないの権利を含まれると解釈されてきた。

日本政府は恐ろしいことに「戦時下のレイプは国際戦争犯罪ではなく、女性は、その名誉に対する侵害、特にレイプ、強制売春、その他あらゆる種類のわいせつ行為から特別の保護を受けるべきではなく、当然軍にその責任はない」と当時の国際社会が考えていたと主張しており、さらに「捕虜は、その身体及び名誉を尊重される権利を有する。女性は、その性にふさわしいあらゆる配慮をもって取り扱わなければならない。そういったことは一般的に考えられていなかった」とも主張する。

そして「諸国家の継続した慣行と法的・必要的信念」がないため、故に習慣国際法でなかった。つまりには国際人道法は当時国際社会が認めていなかった。それが当時の世界の常識であり、旧日本軍も同じように考えていただけなのだと主張している。

つまり、戦争が終わるまでは

軍隊が来たら女性は逃げろ!捕虜になったら終わりだ。マジでヤバイ何をされるかわからん。(旧日本軍含め)なぜなら何をしても条約結んでなければ何をしてもいいからだ。

それが世界の常識であったと黒歴史文書は主張するが

それが当時の世界だけでなく、日本政府にとって大切な大切な旧日本軍の名誉をも十分貶めていると思う

日本政府は一体何を主張したかったのだろうか?よくわからない。

これを書きながら少し気になったことがある。

戦時中は占領されたら女性はレイプされ辱めを受けると政府は考え、国民にも同じような認識をさせたことをである。

戦後直後についても同じような発想でRAA(特殊慰安協会)まで設立したのは、つまりは戦時中及び戦後も日本政府及び旧日本軍はそういう認識のもとでいたからじゃなかろうかと思う。

しかし

旧日本軍及び政府がそうだったからといって

当時の国際社会がと同じ考えだった

と同意を求めても

そんなん誰も同意するわけがないでしょ

いや違った。橋下徹大阪市長は同意してたか(w

これだけではない。他にも

クマラスワミ報告

102.日本は、1904年の醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買取締ニ関スル協定、1910年の醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止条約、1921年の婦人及児童ノ売買ニ関スル禁止条約を批准した。しかし、日本は、1921年条約第14条の特権を行使し、朝鮮をこの条約の適用除外とする旨宣言した。しかし、これは、朝鮮人でないすべての「慰安婦」がこの条約の下で日本がその責務に違反したことを主張する権利があることを示唆する。国際法律家委員会(ICJ)は/18、多くの事例でそうだったように、被害者がひとたび朝鮮半島から日本に連行された場合は、彼らに条約は適用可能になると論じている。これは、朝鮮女性の場合でさえも、多くの事例で、この条約の下で生じる国際責務に日本が違反したことを示唆する。また、この条約は当時存在した慣習国際法の証拠であるとも言える。

こちらを参考にするとクマラスワミ報告が一体何を問題視して、日本政府があえて曲解した上でトンチンカンな反論をしていることがよく分かる。


従軍慰安婦とは - はてなキーワード

醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際条約(大正14年条約第18号)

第1条 何人たるを問わず他人の情欲を満足せしむる為、醜業を目的として、未成年の婦女を勧誘し、誘引し、又は拐去(誘拐)したる者は、本人の承諾を得たるときと雖(いえども)・・・罰せられるべし。

 第2条 何人たるを問わず他人の欲情を満足せしむる為、醜業を目的として、詐欺に依り、又は暴行、脅迫、権力乱用その他一切の強制手段を以て、成年の婦女を勧誘し、誘引し、又は拐去したる者は・・・罰せられるべし。

吉見義明従軍慰安婦』p164.165)

読めば分かる話である。

しかし日本政府は(5)において

日本帝国陸軍により設置された慰安婦制度が国際法上の義務違反であると主張しているところ、そもそも右が売春を目的とするものであるか否かの議論はさておき、醜業不売買の規制に関する一連の条約との関連では、売春宿の経営や売春のための場所の提供を処罰の対象としたのはあくまで1950年の条約が初めてであるところ、1950年の条約により創設された規範が1904年、1921年の条約作成時点においても有効であったとの遡及効果を認めることにはやはり無理があるのであり、あくまで適用しようとする行為が行われた時点における当該規範の内容を逐一点検する必要があるのである。一般に、条約の作成時点において所定の規範に照らして合法とされた当事者の行為が、時代の変遷にと共に同規定の内容が精緻化された後に違法とされることは著しく法的安定を害するものであることは言うまでもない。

と、クマラスワミ報告のパラ102における国際法上の責務の違反内容を「売春宿の経営や場所の提供が問題とされてる」とあえて1950年の条約に合わせて曲解し、問題を回避しようとしている姿がよく分かる。

(5)なお、条約又は慣習国際法に基づく一定の規範が確立している場合であっても、その具体的対象事項及び権利などの実現のための手続きが時代とともに変化し、精緻化していく場合もある。かかる傾向は、特に、人権・人道関連条約に多く、戦争における悲惨な経験等を踏まえて徐々に対象事項が具体的になり、また権利等の実現のための手続きが整備され、精緻化していくのである。例えば、後に詳述するが、醜業婦売買の規制に関する一連の条約は対象事項の精緻化の典型的な具体例として挙げられよう。即ち、1904年の醜業ヲ行ハシムル等婦女賣買取締二関スル國際協定は、外国における醜業を目的とする婦女売買に関する関係国間の情報交換等につき規定するにとどまっていたものが、1910年の醜業ヲ行ハシムル等婦女賣買取締二関スル國際条約及び1921年の婦人及児童ノ賣買禁止二関スル國際条約では醜業目的の婦女誘引者等の処罰につき規定され、更に、1950年の人身売買及び他人の売春からの搾取禁止に関する条約では、売春宿の経営や売春のための場所の提供をも処罰の対象とするようになり、徐々にその内容が精緻化されていった点に注目する必要がある。

日本政府は「諸国家の継続した慣行と法的・必要的信念」の存在があるからこそ、醜業婦売買の規制に関する一連の条約は内容が精緻化されていったと考えられなかったのか、これもやはり責任回避するには稚拙であるとしか言いようが無いと思う。

その挙句が(5)のこれである。

人権侵害を受けた被害者又はその家族による加害国家への補償請求を可能とする法の遡及適用を認める議論はおよそ過去の戦争により人権被害を受けた被害者又はその遺族はすべて加害国家に対して補償請求を行うことが可能であると結論を招くことになるが、世界史における数々の戦争の被害者の遺族等が今日、加害国家に対して補償請求権を行使することができるとすることが、現在の国際関係を根本的に混乱させるものであることは論を待たないのであり、また、かかる事態を招くような規範が国際法として確立していることにつき、国際社会の多数の国が同意乃至許容していると考えることは根本的に無理があるのである。 

この主張はしかも人権委員会において人権委員会にも喧嘩売ることを意味する。

なぜなら(パラ118)において

クマラスワミ報告

118.人権委員会はまた、個人の賠償への権利の問題を解明することに関心を表明している。その決議1995/34で、同委員会は、差別防止少数者保護小委員会が、同小委員会の基本的自由と人権の重大な侵害被害者の原状回復、賠償及びリハビリテーションへの権利に関する特別報告者の最終報告書(E/CN.4/Sub.2/1993/8,chap.IX)が提示した基本的原則及び指針に考慮を払うよう奨励した。

 とことわった上で人権委員会がテオ・ファン=ボーベン重大人権侵害報告書における基本原則及び指針をを考慮して(パラ118~122)は成立するからであり、それは人権委員会が奨励した基本原則及び指針であるからだ。

それを真っ向から否定して日本政府は何を主張しているのだろうか。

クマラスワミ報告

123.法的責任を主張しようとするいかなる試みも遡及的適用であると暗に反論する日本政府の基本的主張に対しては、国際人道法は慣習国際法の一部であるとの反論がなされるであろう。この点で、「この条のいかなる規定も、国際社会の認める法の一般原則により実行の時に犯罪とされていた作為又は不作為を理由として裁判しかつ処罰することを妨げるものではない」と定めている、市民的及び政治的権利に関する国際規約第15条第2項に留意することが有益であろう。

124.時効があるに違いないとか、あるいは第二次大戦後約50年も経ったという議論もまた、適切でない。被害者の権利尊重の立場から、犯罪に関する法、政策及び慣行は、時効を認めない。この関係で、原状回復への権利に関する特別報告者は、その報告書で、「人権侵害のための実効的救済が存在しない間の期間に関しては、時効は適用されてはならない。重大人権侵害の請求権に関しては、時効に従うものとされてはならない」/25と述べている。

わざわざそれについて触れている。

なのに天然なのかワザとかと言うと間違いなくわざととしか言うべき結論を導き

(6)具体的には、特別報告者は、その主張の一環として1949年のジュネーブ条約等の戦後の国際法を根拠に戦前及び戦中の行為が違法であったとの主張を展開し、我が国の国家責任を結論付けており(パラ96及び97)、また、前出のどおり醜業婦売買の規制に関する一連の条約を挙げたり(パラ102)、更に、ヘーグ陸戦規則第46条の「家の名誉及び権利」についても既にその内容として女性が屈辱的強姦を受けない権利が含まれていたと断定した上で(パラ101)、右権利に基づき個人としての補償請求権まで認めれると主張している。

この主張が国際社会に認められることはない。

なぜならクマラスワミ報告を「曲解」して「日本政府の主張に基づいた捏造」して、報告書ならびにクマラスワミ氏、人権委員会、事務総長を非難しているのだ。

これがⅠ.特別報告者報告書付属文書1に係る国際法上の基本論点の整理の内容だ。

 しかし

「いやー日本政府は国際法詳しいなあー、俺らわかってなかったんやな」

とかなると思っていたんだろうか。常識的にまず間違いなく

喧嘩売ってんの?お前ととられると思うんだが。

日本政府の主張は

クマラスワミ報告どころか事務総長、人権委員会すら

「お前ら間違っとる。国際法分かってないくせに何言ってんねん。日本が正しいねん」

 ということだからだ。またクマラスワミ特別報告者に対して、日本政府が主張した反論の焼き直しどころか繰り返しての主張である。

もはやクマラスワミ報告ですでに切り捨てられたものを未練がましく繰り返して再提出する。一体何を理解しているのであろうか。

忘れないでいて欲しいのだが、あくまで日本政府の立場は

日本政府としても、旧日本軍の関与の下、多くの女性の名誉と尊厳がつけられたいわゆる従軍慰安婦問題を深く反省し、官民挙げてこの問題に誠実に対応するとともに、この問題を一つの教訓として、「女性に対する暴力」の問題一般解決のために国際社会に協力していくべきと考えている。

昨年の国連総会において、我が国は、女性の暴力に関する基金をUNIFEM内に設置するための決議を提案し、採択されたが、今後この基金に応分の資金協力を率先して行っていく所存である。政府としては、今後とも国際社会と一致協力して「女性に対する暴力」の問題に取り組んでいきたい。

ということ、この問題を教訓として女性の暴力の問題一般解決のために国際社会に協力していく立場である。あくまでとにかく自国の反論の正当化を主張してどうなるのか、全く意味がわからない。

さて次回は本格的に独善的で自国の主張を中心に世界に喧嘩を叫ぶ日本政府のコメントⅡ.特別報告者付属文書Ⅰの個別の法的論点に対する具体的コメントに移ります。